振り返ると、本当は嫌で仕方がないのに「こういう時はこうすべきもの」「皆がこうしてるから」といった理由で無理やり行動したりしていました。
不快に感じていることを自分で認めて「そういう状況・環境を避けてもいい」とOKを出せたことでいろいろ楽になったなぁと思っています。
私にとっての不快は、
- 四六時中人と一緒にいること
- 拘束時間が長いこと
- 1つの仕事をシェアしたり一緒にやりながら仕事をすること
- 役割・ルールが曖昧
- 音が大きすぎる場所
- 物が多い場所
- パーソナルスペースがない
- 適当すぎる環境
- 誠実さが欠ける環境
でした。
修学旅行やガールスカウトのキャンプは、1日中でもしんどいのに、3泊4日の時は地獄。
常に周りにたくさん人がいて苦しさを感じていたのに、「行くべきものだ」と思って参加していました。
会社員の時は、1日8時間〜9時間はオフィスにいないといけない。
オフィスには人がたくさんいて、一人っきりになれる場所がない。
音に敏感なのか、あまりにも大きすぎる声、キーボードクラッシャーが気になる。
そして、はっきりとした役割がなく1つの業務を複数人でシェアしながら進める仕事は、適当に処理をする人がいるとぐちゃぐちゃになるのが嫌だったり。
しかし周りを見渡すとそこまで不快に感じていなさそうで、「私っておかしいのかな…?」と思うこともしばしばありました。
でも人は皆それぞれ感じ方が違う。
私が「快」に思っていることが、他の人にとっては「不快」かもしれない。
このことがスッと自分の中に入ってからは、自分自身が感じている不快を認めて、OKを出せたことで気持ちが楽になりました。
自分の不快にOKを出した私は、快になる環境に少しずつ変えていきました。
「不快を避けるなんてわがままなのかな…」と思うこともありましたが、合わないところに無理やり自分を合わせようとしたところで余計に苦しくなるだけで、形の違うパズルに無理やりピースを合わせているような状態です。
そして不快な環境にいると、何かしらのサインがあったりもします。
3ヶ月に1回は風邪を引いて体に症状が現れたり、次々と自分にとって嫌だなぁと感じる出来事が起こったり、今思うと「心から望んでいることを自由に選んでいいんだよー!」というお知らせだったのかなと思います。
今やっているカメラマンの仕事は、快ポイントがいろいろあります。
「写真を撮って編集してお渡しする」という役割がハッキリしていて、ご依頼者の方のリクエストをもらった中で、段取りなどを自分で組み立てて進めていく。
1〜2時間集中して撮影して、静かで物が少なくスッキリとした家でもくもくと一人で編集作業をする。
全く人と関わらないわけではなく、撮影を通じて交流することもできる。
(時間があれば撮影後一緒にお茶したりするのも楽しいです)
私にとっての快を書き出してみると、
- 一人できっちり自己流で進められる
- 自分らしさが出せる
- 自分のペースでじっくり考えて進められる
- 誰かに何かに縛られすぎない
- 物が少なく片付いていて、静かな環境
- 程よく人と接することができる
でした。
こうして書き出してみた時に「こんなに一人で進めていくことを望んでいる人間が、チームで動けるのかな…」とふと思ったりもしたのですが、役割・領域を決める等、上手くアレンジしていけばOKなのかもしれません。
やっぱりチームの一員として何らかの役に立てるのは嬉しいです。
そして、私自身が快の環境で動いていたら本来の力がきっと発揮されるはず。
持っている性質を活かして、自分も周りも喜べることをしていけたらいいなと思っています。
誰得になるのかわからない記事かもしれませんが、「こういう人もいるんだな〜」と思って見てもらえたら嬉しいです。