夫とコナズ珈琲へ行ってきました。
6年前に住んでいた家から車で15分くらいのところにあったことがきっかけでコナズ珈琲を知って、好きなカフェのひとつになりました。
その家を引っ越すときに「もうコナズ珈琲には行けないのかなぁ」と残念に思っていたら、引越し先の家から同じく車で15分くらいのところに発見。
しかし、私自身車の免許はあるものの運転ができません。
そのためコナズ珈琲へ行くには運転ができる夫に連れて行ってもらう必要があります。
夫にちらほら「連れて行ってほしいな」とお願いはしていたものの、体調の関係で「ちょっとまだ難しいかも…ごめんね」と言われることが続いていましたが、徐々に夫の体調も元に戻りつつあり今回ようやく行くことができました。
コーヒーやパンケーキを美味しく味わってご機嫌になった一方で、「車の運転」に対するモヤモヤも同時に出てきたり。
このように「行きたいところがあるのに、車じゃないと行けない」という状況になったときに私が陥るのが
「免許があるのに運転ができない私はダメだ」
というパターンです(*_*)
免許を取ろうと思ったきっかけは、当時住んでいた家から徒歩2分のところに教習所があったことと、夫の体調の悪さがピークの時で「私が運転できれば役に立てるのでは」と考えたからでした(当時33歳)。
しかし、無事免許を取っていざ道路に出てみたら「ワクワク」よりも「恐怖心」が上回り、とにかく運転している時間が心地悪かったのです。
教官が隣にいてくれることのありがたさをつくづく感じました。
そしてバックで駐車ができない。
近くのスーパーの駐車場で練習しようとしたものの、次から次へと他の車が来てどんどん焦る。
極めつけは、ブレーキを踏むつもりがアクセルを踏んで縁石を乗り上げて壁に突っ込んでしまい、「運転=恐怖」と思う決定的な出来事になりました。
普段はそこまで気にならないのですが、ふとした時に
- 30万ちょっとかけて免許取ったのに結局運転できない
- 30万あればもっと他のことできたのに…
- あ〜〜私って本当に選択が下手!そして何をやってもダメなんだ!
- そういえば前にもこんなことやあんなことや…
というように、どんどん悪い方へと向かっていきます。
そして昨日は、
「前に私がインフルエンザになった時は夫がサッと車で病院へ連れて行ってくれたのに、もし夫に何かあったら車は家にあるのに運転できないから病院へ連れて行くことができない。あれ、私のいる意味って…?」
というように、無意識で存在を否定している自分がいました。
途中で気付かないとどんどん沼にハマります。
昨日の私はとにかく「影」にばかり目を向けていたような気がします。
正直「免許取った意味あったのかな?」「教習所へ通った経験が本当にいつかどこかで役に立つのかな?」と思う部分は今でもあります。
しかし、当時のことを振り返ると
「働きながら最短で免許を取ろうと頑張っている私」
「免許を取ったら夫をいろいろなところへ連れていきたいと思っている私」
がいました。
2番目は結局叶ってはいませんが「不器用ながらも私なりに考えて動いていてかわいいじゃん」と思って少し泣けてきました。
もし夫に何かあったらタクシーを頼らせてもらえばいい(以前タクシーの運転手さんに「何かあればタクシーを呼べばいいんですよ」と言われたことを思い出しました)。
そして「人は誰しも得意・不得意なことがあるから、必要以上に車の運転ができない自分を責めなくてもいいよね」と思った1日でした。