「ズレてしまう部分こそが自分の個性」と知ってホッとした話

カメラマン

7月は同じ悩みが繰り返し出てきていたり、無意識のうちに矢印が自分の内側ではなく外側を向いているなぁと思うことが多々ありました。

特に写真撮影の面では、とても楽しい反面、なんかスッキリしない、答えが出ない感じのモヤモヤが。

ステキな写真を見つけて、構図・レタッチを真似してみても同じようにならない。

ここで私が思ったのが、

「この人のように撮れない…レタッチできない…」
「やっぱり私はまだまだ技術不足だなぁ…」

という、よく出てくるネガティブな心の声だったり、そもそも自分は何なのか、どうなりたいのか、訳がわからなくなることもありました。

そんな中、入会した写真のオンラインサロンを通じて知った写真家の濱田英明さんのnoteで、

「そのズレてしまう部分こそが自分の個性」

ということを知って心がスーーーーッと軽くなっていきました。

私はそのズレを個性としてではなく「ダメだダメだ…!」と否定してしまったり、他の誰かになろうとして苦しくなっていたと感じます。

そして、写真のオンラインサロンに入ってから「写真を言語化すること」の大切さを知りました。

私自身苦手意識を感じる言語化。
最初は正直「うげ〜〜…」と思いました。

しかし、少しずつ他の方が撮った写真を言語化していくことで、「なぜこうなのか」を考えることが増えていき、面白さも感じています。

私が撮る写真を自分で言語化してみると、「”ふんわりかわいく”を目指したとしても、気付くとパリッとしたスパイスが入っている」そんな気がします。
(そして、以前仲間が「なんか動き出しそうな写真」とも言ってくれました)

学生の頃夏休みの宿題で「自由研究」がありましたが、今年の8月は自由研究の対象を「私」にしてみました。

他の方の写真、自分が撮った写真、自分の想いなど、さまざまなことを言語化してみたり、
私とはどういう人間なのかを深堀りしてみたり、自分の中で制限となっているものがどこから来たのかを探してみたり。

モグラのように深く掘ってみようと思います。