2年間フリーランスを経験して今思うこと(仕事編)

フリーランス

フリーランスになってから今年の5月で2年が過ぎ、3年目を迎えました。

1人で小さくのんびりやっていて進み具合はスローペースかもしれませんが、振り返ると大なり小なりいろいろなことがありました。

フリーランスを2年経験して感じたことを、「収入編」「ライフスタイル編」「仕事編」に分けて書いていきたいと思います。

  1. 収入編
  2. ライフスタイル編
  3. 仕事編 ← 今回はここ
カメラマン

これまで経験した仕事の中で「楽しさ」や「達成感」を1番感じられた一方で、会社員として働いていた時には味わうことがなかったモヤモヤ等も経験もしました。

当初は個人向け(プロフィール・ファミリー・セミナー撮影など)のみの仕事でしたが、2023年からは企業関連の撮影に携わることができ、仕事の幅が広がって嬉しく思っています。

が、今現在は当初やっていた個人向けの撮影依頼はほとんどありません。

というのも、2023年10月頃に、撮影実績をアップしていたInstagramのアカウント削除や、所属コミュニティの卒業を決めたりなど、身の回りの整理や断捨離をして一旦更地にし、何が入ってくるか未確定の状態で先に余白を作って、「自分の好きなもの」を出していくことに決めました。

*断捨離後に書いた記事↓

更地にして方向性を変えたので、「今までの人から依頼がないのも当然だよなぁ」といった感じです。

仕事がすっからかんな日々が続くと、

「依頼が入るようにもっと安値にした方がいいのだろうか」
「やっぱり別の方向性でやっていった方がいいのでは…」

と思うこともありましたが、そういう時は魂を売ろうとしているような、心がザワザワ〜〜〜となる感覚があるので、「やめてくれ」のサインなのかもしれません。

先に違和感がある物事を手放して余白を作っておくと、空いたところに金額的にも内容的にも自分にしっくりくる仕事が入ったり。
「余白を作るってこういうことなんだなぁ〜」と体感した出来事でした。

ここ最近思うのが「写真と何かを掛け合わせて突き抜けられないか」ということ。

お仕事として写真を撮るようになってから、学びのためにたくさんの写真をインプットしてきましたが、ここで思ったのが「世の中ステキな写真を撮る人がたくさんいる」というのと、「自分がどんどん埋もれていくような感覚」でした。

写真撮影の楽しさはもちろんあるけれど、なんか突き抜けきれていないというか、個性を出しきれていないというか、喉に何かが詰まっているようなスッキリしない感じもあったり。

そして、このモヤモヤの理由が「自分が写真を撮る”だけ”の人になっていたからなのでは…?」というのがぼんやりと出てきました。

ステキな写真を撮れる人は世の中にたくさんいるわけで、「私じゃなければ絶対にダメ」というわけではありません(それはそれで気楽な部分もありますが)。

撮影技術をさらに向上させて、よりハイクオリティな写真を撮れるように専門性を高めることも大切だとは思うのですが、
私の場合は、自分が持っている性質を絡めながら、パズルのピースがはまるように「これだ…!」としっくりくる何かを見つけられたらいいなという感じです。

この「突き抜ける」というのは、誰かを押しのけて頂点に立つとかではなく、周りの声とか、地位とか名誉とか、数字の多い少ないとか、いろいろなことがどうでもよくなるくらい、自分に集中して夢中になってワクワクできることです。
(この状態になれれば写真じゃなくても良いと思ってます)

しかし何と掛け合わせたらいいのかさっぱりわからない状態が続く中、数日前にふと「これかもしれない」というのが出てきました。

実際にやるとなると課題がいろいろあり、様々な角度から見ていく必要があるのですが、今の私は「でもなんか動きたくて仕方がない…!」という衝動に駆られている感じです。

やってみた結果、「ちょっと違ったかも」「無理かもしれない…」となるかもしれませんが、違ったらまた別の方法を試したりしながら、いい感じのところに着地すると決めて行動してみようと思います。

そして、私の好きなブロガー・サヤカドットさんのブログで紹介されていたこちらの記事↓のように、「いつの間にかうまくいっちゃった」がどんな感じなのかを実験中です。

「努力したから成果が得られた」ではなく、「いつのまにかうまくいった」がいい 【養老孟司×和田秀樹⑤】